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- 「柔道家・古賀稔彦さん死去」
おはようございます。
エム・アイ・シー・コンサルティングの神宮です。
春です。快晴です。空が青く、空気も心地いい季節です。
広島では桜が満開になっており、思わず足を止めて写真を撮りました。
そして、昨日からプロ野球が開幕しました。
わがカープは、残念ながら逆転負けを喫しましたが
今年は新人選手が4人も開幕戦から一軍登録され
若い力が躍動する、そんな期待が持てます。
そして、木曜日から東京五輪の聖火リレーが始まりました。
新型コロナウィルスの感染は、いったん落ち着いたように見えましたが
早くも第4波到来の声も聞こえてきています。
東京五輪開催の具体的なシナリオはまだ見えませんが
それでも、世界中の希望を乗せた聖火が4か月後に無事に
開会式の行われる新東京国立競技場に到着することを願いますね。
4か月は、短くありません。
この間に、何が起こるか想像できません。
最近は、一瞬で事態が替わることが多いので、4か月後の状況が
どうなっているかは、まさに「神のみぞ知る」の世界です。
でも、そんな分からないこと、見えないものに恐々としていても
現実は日々進みます。
自分にできることをするしかありませんので、
まずは日々の生活をしっかりして、自分の目指すところに向けた
アクションを一つ一つ積み上げていくだけですね。
さて、訃報です。
柔道の古賀稔彦さんが先日、お亡くなりになりました。
「平成の三四郎」と呼ばれた、美しい柔道は
いまも多くの人の記憶に刻み込まれているでしょう。
バルセロナ五輪で金メダルをとったときの話はあまりにも有名です。
現地入りし、直前の練習中に左膝靱帯を損傷する大けがをし、
試合は痛み止めの薬を飲みながら戦い、見事優勝。
その時の僕の記憶では、けがをしたというのはニュースで知り
金メダルに最も近いとの前評判だったので、
「あ~、なんでこの時期に」
「厳しいかな」
と思いました。
まず、当日、畳の上に立つのも難しいのではと思っていました。
古賀さんがけがをした時の練習相手であった吉田秀彦さんが先に金メダルをとり
いよいよ古賀さんの試合の日。
得意の一本背負いも繰り出し、順調に勝ち上がり決勝の舞台に。
この前回大会のソウル五輪でも優勝候補でしたが、まさかの3回戦敗退。
多くの思いをもって挑んだ決勝で見事勝利。
あの時の古賀さんの表情は鮮明に記憶しています。
53歳というあまりにも早い旅立ちです。
大好きな選手だったので、大変ショックでした。
柔道界を引っ張っていく人材が、また一人いなくなる寂しさです。
柔道界では、同じく金メダリストの斎藤仁さんも2015年に54歳で
亡くなっています。
世界に名を轟かせた名選手、そして日本の柔道界をこれから牽引していく逸材を
また一人失いました。
心からご冥福をお祈りいたします。
東京五輪に向けたカウントダウンが始まりました。
1日1日と聖火は東京に向かいます。
古賀さんも東京五輪を楽しみにしていた人の一人でしょう。
思わぬ事態で、初の延期となった東京五輪が無事に開催され
そして、無事に終了することを願います。
明日の広島は雨の予報です。
せっかくの桜をもう少し愛でたいのですが、
雨で散ってしまわないか心配です。
短い春となるかもしれませんが、昨年味わうことができなかった
春の季節感を今年は感じたいですね。
本日も最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。
よい週末をお過ごしください。